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地元民おすすめの天草のうにと満喫できるフェアとは

2023.03.31

※掲載内容は公開時点のものです。ご利用時と異なることがありますのでご了承ください。

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天草で春と言えばムラサキウニ漁が解禁される季節です。

また、ムラサキウニ漁の解禁にあわせて、天草生うに三昧が開催されています。

春の天草はムラサキウニを始めとしたグルメやレジャーなど盛り沢山です。

天草の春や天草の文化など、天草の旅が楽しくなる情報を紹介します。

天草の絶品うにを味わいたい方におすすめ

春の味覚

四方を海に囲まれた天草は、特に水産物が有名です。

春の時期に食べられる天草の海の味覚を紹介していきましょう。

ムラサキウニ

ムラサキウニは殻経5~6cm、殻高3cm程のウニです。

可食部はオレンジ色の生殖巣で、栄養を蓄えて身が肥えているものが漁獲されます。

産卵期を迎える直前が旬となり、天草では3~5月頃の春の味覚として知られています。

さっぱりとした上品な甘みと旨味が特徴で、寿司ネタ、刺身、うに丼など生のまま食べられることが多いです。

天草の各地で旬のウニを使った料理を味わうことができます。

マダイ

マダイは全長120cmに達する比較的大型の魚です。

釣りの対象としても人気があり、大型の個体が好まれますが、食用として流通するものは20~70cm程度の大きさです。

春に流通するマダイはサクラダイと呼ばれており、産卵期であるため卵や白子を味わうことができます。

料理方法としては刺身、塩焼き、煮付けなどが定番です。

アオリイカ

天草ではミズイカと呼ばれています。

アオリイカは、体長30~40cm、大きいもので50cm以上、重さは6kg以上に達し、沿岸域に生息するイカとしては大型の部類に入ります。

丸みを帯びた胴の縁に渡って半円形のヒレをもっています。コウイカに似ていますが、甲は薄く透明な軟甲です。

大型の個体が産卵のために浅場にやってくる4月~6月頃が旬となります。

弾力のある肉質と、甘味があるのが特徴です。

遊離アミノ酸が国産のイカとしては最高水準で、旨味が強いです。

港の防波堤などからでも釣れる手軽さから、釣りの対象としても高い人気があります。

毎年、アオリイカを狙って天草を訪れる釣り客も多いです。

アオリイカは定番の刺身や、塩焼き、干物、天ぷらなどの料理で食べられます。

キビナゴ

成魚の全長は10cm程、前後に細長い円筒形の体をもち、腹側にある幅広い銀色の縦帯と背中側の濃い青色の縦帯が隣接した体が特徴です。

鱗は円鱗で、1縦列の鱗は40枚前後ですが、剥がれやすいため漁獲後にはほとんど脱落しています。

天草では生姜を添えた刺身や寿司など、新鮮な味わいを楽しむことができます。

春~夏には卵を抱えている個体もおり格別です。

頭部や骨が軟らかいため、煮付けや唐揚げで丸ごと食べることができ、カルシウムを多く摂ることができます。

ヒラメ・カレイ

最も旬となる時期は1~2月頃ですが、天然ものは秋から春にかけて水揚げされています。

寿司ネタとして人気のエンガワはヒレの付け根にある筋肉で、脂肪とコラーゲンが豊富です。

クロクチ貝

別名をムラサキインコといい、日本全国の沿岸に生息しています。

非常に美味な出汁がでる貝として古くから知られており、味噌汁、蒸し煮などで食されます。

ムール貝に似ておりパスタやグラタンの具材として使うこともできます。

天草では、海水で炊いた「浜茹で」や味噌汁などが親しまれています。

地元おすすめ春のイベントなど

天草の海天草では春の味覚を楽しめるほか、各地のイベント等に参加できます。

食べ物だけにおさまらない天草の魅力を知れば、更に天草の旅を満喫できるでしょう。

グルメを味わえるだけでなく、観光も楽しめる天草への旅行の参考にしてみてください。

天草生うに三昧

第9回 天草生うに三昧

第9回 天草生うに三昧
開催時期:令和6年3月30日(土)~令和5年5月31日(金)

詳しくはこちら

3月上旬からのムラサキウニ漁解禁に合わせて、観光協会が主催する天草生うに三昧が開催されています。

天草市内の飲食店や宿泊施設などで新鮮な生ウニを食べることができるフェアとなっています。

栄養たっぷりの海藻で成育したウニは、保存料不使用で提供されるため、臭みの無く甘いウニを味わうことができます。

天草外で味わうことが難しい「黒紫うに」が提供されることもあり、天草に来なければ味わうことのできない逸品となっています。

うに料理の他にも海鮮丼や御膳料理など、贅沢な食事のメニューが目白押しです。

春の窯元めぐり

天草陶磁器は、天草地方で焼かれる陶磁器の総称です。

天草は九州最古の磁器産地であり、世界一の陶石と呼ばれる天草陶石が採れる場所でもあります。

その良質な陶石を使って焼かれる磁器と、地元の陶土を使って焼かれる陶器があります。

磁器は約340年前に、陶器は約250年前に焼き始められました。

天草陶石は全国の有名焼き物にも使われている石で、調整することなく焼き物に使うことができるため全国の陶石生産量の約8割を占めており、海外へも輸出されています。

電気的絶縁性も高いため、高圧碍子や宇宙船の耐熱材などにも使われています。

にごりのない白色と高温でも変形しにくい天草陶石は、江戸時代の発明家でもある平賀源内から、当時の天草代官所に提出した「陶器工夫書」の中で「天下無双の上品」と絶賛されています。

天草は幕府の直轄地である天領であったため、藩の御用窯的なものはなく、村ごとにいた庄屋が、それぞれ陶石を売ったり焼き物を焼いたりして振興をはかっていました。

そもそも天草陶石は砥石として売り出されていましたが、磁器原料として佐賀、長崎方面に供給され、やがて全国まで広まっていきました。

青磁・白磁・染付に特徴があり、内田皿山焼・高浜焼・丸尾焼・水の平焼の4つがおもな産地となっています。

内田皿山焼は、九州最古の磁器産地です。周辺には窯跡が多く見られ、無数の陶磁器が出土しています。廃絶していましたが1970年に復興し、1981年には熊本県の伝統工芸品となりました。

高浜焼は1762年に開窯し、地元高浜の庄屋、上田伝右衛門が肥後国から陶工を招いて磁器を焼かせたのが始まりとされています。良質だったために長崎奉行に目を留められると、オランダ向けの輸出品を中心に焼かれました。

明治中期に廃窯となりましたが1952年には復興しています。
江戸時代で中期に描かれていた復刻シリーズの海松紋が特徴

丸尾焼は江戸末期の開窯です。生活にとけこんだ民芸品を焼いていました。現在では形式に囚われない様々な陶器が焼かれています。

水の平焼は1765年に開窯されました。青黒い器肌が特徴の海鼠釉を用いる陶器産地で、その元祖ともいわれる古窯です。赤海鼠は代表的な釉薬として知られています。

これらの代表的な産地から更に窯元それぞれの個性的な焼きものが生み出されており、天草陶磁器を見て回るには1日では足りないと言われています。

毎年GW期間中には「天草西海岸 初の窯元めぐり」「ひょうたんころばし ぬけ道つながり 春窯めぐり」といった各参加窯元店舗で新作展示販売が行われます

ゴールデンウィーク化石教室

御所浦町は、八代海に浮かぶ18の島々からなる離島です。

「恐竜の島」「化石の島」として知られており「日本の地質百選」にも選定されています。

熊本県の化石として「白亜紀恐竜化石群」が認定されていますが、これらには御所浦をはじめとする天草地域の化石が含まれています。

御所浦は、島をまるごと博物館に見立て、野外見学地を各所に設ける他、地元ガイドを育成するなど、エコミュージアム化を進めています。

誰でも気軽に化石採集体験ができるトリゴニア砂岩化石採集場や、野外見学地のアンモナイト館・ニガキ化石公園・前島・イノセラムスの壁・白亜紀の壁・弁天島の恐竜足跡発見地などがあります。

「ゴールデンウィーク化石教室」は御所浦で行われる毎年大人気の化石採集体験イベントです。

白亜紀資料館の学芸員やガイドと一緒に採集体験ができます。

宮地岳かかしまつり

かかしの量にびっくりすること間違いなし!

廃校の小学校を再活用した道の駅としては日本で初。
校舎、校庭の広い敷地を活用した展示、体験教室などが行われています。

毎年変わるテーマに沿ったかかしが展示される宮地岳かかしまつりは天草の春の風物詩にもなっています。

2023年は「かかし村の四季」をテーマに3月19日~5月5日頃まで開村されます。

天草ぐるっと周遊バス

1年を通して運行している「天草ぐるっと周遊バス」を利用すれば気軽に天草の旅を満喫できます。

イルカウオッチングを楽しむコースや、世界文化遺産「崎津集落」をめぐるコース、南あまくさの食と文化をめぐるコースから選んで参加することができます。

天草について

天草天草諸島は九州西部の熊本県と鹿児島県にまたがる諸島です。

北方を有明海、東方・南東を八代海、西方・南西を東シナ海の天草灘に囲まれています。

別名を「苓州」といいますが、これは天草を甘草に掛けており、甘草の漢名「苓」から名付けたものです。

天草は天草上島と天草下島を主島としています。このうち下島の面積は574.01平方kmで、日本の離島で8番目に広大な面積を持っています。

かつてはキリスト教の布教が広がり、キリシタン弾圧、天草・島原の乱が起きた歴史からキリシタンの島としても知られています。

世界遺産の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

の崎津教会も下天草にあり人気のスポットとなっています。

天草の産業

温暖な気候と豊かな海から水産業や養殖業が盛んです。

特に養殖ではクルマエビや真珠貝が有名で、近年では新たに近大マグロ、岩牡蠣、トラフグなどの新たな養殖が取り組まれています。

長崎県の島原半島とともに雲仙天草国立公園に指定されており、海水浴、イルカウオッチング、船旅、温泉などのレジャーも充実していることから年間約480万人の観光客が訪れます。

天草の交通

熊本県の宇土半島の先端に位置する三角から大矢野・天草松島を経て上島に至るルートは、1966年に開通した天草五橋でつながっており「天草パールライン」と呼ばれています。

上島と下島とは、幅100m程度、長さ約3kmの本渡瀬戸によって隔てられていますが、天草瀬戸大橋と2023年2月に完成した天草未来大橋で結ばれています。

地元民ワンポイントアドバイス

ゴールデンウィークやお盆休みに車で旅行される方に朗報。

松島からの有料道路を利用する場合、行きは大丈夫ですが、帰りは料金所で渋滞するため米の山ICで下りた方が早い場合もあります!特に渋滞の始まる14~16時は危険な時間帯です。

天草の歴史

1560年頃、天草は5人の士豪が支配していました。

大矢野を中心とした大矢野氏、有明の上津浦氏、栖本の栖本氏、苓北の志岐氏、河浦・本渡の天草氏の天草五人衆です。

勢力では志岐氏、天草氏が優位でしたが、勢力争いを行いながらも姻戚関係を結んでいたことから、比較的まとまりを持っていたと考えられています。

1566年、修道士ルイス・デ・アルメイダが志岐氏に招かれ、キリスト教がもたらされました。

志岐には教会が建てられ、コスメ・デ・トーレス、ガスパル・ヴィレラ、オルガンティノら宣教師も来島すると、1570年には宗教会議も行われました。

信仰は徐々に広まり、信者数1万5千人、教会堂は30あまりに達したと言われています。

この頃まで天草諸島と肥後国天草郡は一致していましたが、1581年に長島・獅子島などが薩摩国出水郡に編入され、この時の国境は現在の県境になっています。

1587年、豊臣秀吉が九州平定を成し遂げると、天草五人衆は豊臣政権の下で大名の佐々成政の与力とされます。

その後、肥後国人一揆により成政が失脚し、肥後南半国の領主としてキリシタン大名の小西行長が下向しその与力となりました。

しかし1589年、天草五人衆は行長の宇土城普請の命に背いて反乱に及び、天正の天草合戦に至ります。

反乱の末に敗れた五人衆は降伏、逃走した志岐氏を除く四氏が行長の家臣に組み入れられました。

その後行長は志岐にキリシタンの家臣を置き、天草のキリシタンは行長の庇護をうけることになりました。

1591年には宣教師養成のための天草コレジオが羊角湾岸の河浦に設置され、全寮制の集団教育が行われました。

天正遣欧少年使節の4人もここで学んでおり、天草では少年使節が持ち帰ったグーテンベルク式活版印刷機を用いて「天草本」が刊行されました。

関ヶ原の戦いの後、敗れた小西行長は斬首され、天草は唐津藩の飛び地となります。

領主の寺沢広高は富岡城を築いて城代を置き、検地をおこなって天草の石高を定めました。

この時の石高は実際の生産高の倍にあたり、過酷な税の取り立てとキリシタン弾圧、そこに飢餓が続いたことも要因となって1637年に天草・島原の乱が勃発しました。

乱後、山崎家治が富岡城の再建、離散した領民の呼び戻しを行い、新田開発などにあたりました。

1641年に家治の功績により天草は天領となります。しかし住民は重税に苦しみ、宗教弾圧も続きました。

天草は廃藩置県後の1871年まで長崎県に属しましたが、その後肥後国天草郡は熊本県に属し、現在に至っています。

歴史を知って散策すると乙な旅になりますので参考までに!

天草の絶品うにを味わいたい方におすすめ