天草では春の時期にムラサキウニが旬を迎えています。
ウニ嫌いもウニ好きになると言われる天草のウニ。
一度は産地で食べたいものですが、ついでに観光できる場所があれば旅のプランも立てやすいでしょう。
ウニの豆知識の他、天草を訪れた際におすすめの観光地や穴場を紹介します。
天草では、うに丼が有名です。
旬の時期には島内のお店で、様々なウニ料理、海鮮料理が提供されています。
お手軽なランチから、豪華な御膳料理としても提供されており、濃厚な味わいのウニの握り寿司や、旬の魚を使った鮮度抜群の刺身と贅沢に食べる海鮮丼などがあります。季節ごとに魚も変わるため、毎回違った絶品メニューを楽しめるでしょう。
また、天草のウニはお土産としても人気があります。
生ウニであれば日持ちはしませんが、美味しい天草のウニをご家庭でも味わうことができます。
天草の絶品うにを味わいたい方におすすめ
天草のウニ 穴場
結論から言いますと
西海岸
です。
特に天草下島の五和から下田にかけてが地元民も推す、絶品ウニの穴場!
理由としてはそもそも、その地域が産地だからです。
中にはお店の方が自ら採ったウニを提供しているお店もあるそうです。
補足ですが、五和町は有明海の入り口で、芳醇な内海と新鮮な外洋が入り混じる釣りの好ポイントでもあります。
長崎県が目と鼻の先で、早崎海峡という超がつくほど急流の海が目の前にあり、岩礁が続く地域です。豊富な栄養や酸素を含む海水が海藻を育て、たくさんのウニが育まれています。
天草の街から少し離れていますが、産地のそばのお店には新鮮すぎるウニが提供されています。
天草の観光
天草には、その歴史を感じる建物や地域、観光スポットが多く存在しています。
美味しいウニを食べるために天草を訪れた時、町を巡ってみるとその歴史の一端を感じられるかもしれません。
﨑津教会
〒863-1204 熊本県天草市河浦町崎津539
入り組んだ洋角湾のほとりに位置する﨑津集落は、1569年にルイス・デ・アルメイダ神父によってキリスト教の布教が行われました。
その後の1638年の禁教令以降、激しい宗教弾圧が行われた場所として知られています。
キリシタンの住民たちは、仏教徒を装い、﨑津諏訪神社を大切にしながらも、密かに洗礼やオラショ(祈り)を伝承していたとされています。
アワビの殻、タイラギ貝、一文銭、鏡などを聖器としていたと言われています。
その後、240年間にも渡り、キリスト信仰と神社の様式を共生させ、隠れキリシタンとしての信仰を守り続けました。隠れキリシタンたちが信仰の自由を許されたのは、明治時代に入ってからのことです。
現在の﨑津教会の建物は、1934年にフランス人宣教師であるハルブ神父の時代に長崎の建築家・鉄川与助の設計によって再建されたものです。
建てられた土地は、ハルブ神父の強い希望のもと、禁教時代の弾圧の象徴ともいえる激しい絵踏みが行われた、吉田庄屋役宅跡が選ばれました。
その絵踏みが実際に行われていた場所に現在の祭壇が配置されたと言われています。
「海の天主堂」とも呼ばれる教会がたつ一帯は、日本の渚百選や、日本のかおり風景100選のほか漁村景観は「国の重要文化的景観」そして「世界遺産」にも選ばれています。
天草キリシタン館
〒863-0017 熊本県天草市船之尾町19-52
天草市にある文化施設で、天草切支丹の歴史資料を展示する資料館です。
キリスト教の伝来、南蛮文化、迫害、天草・島原の乱・隠れキリシタン、乱後の代官行政、というテーマで構成され、それぞれの背景や歴史を紹介しています。
天草・島原の乱で使用された武器や国指定重要文化財の天草四郎陣中旗として知られる綸子地著色聖体秘蹟図指物、キリシタン弾圧期の踏み絵、隠れキリシタンの生活が偲ばれるマリア観音など、約200点の文化財が展示されています。
また、天草は全国でも屈指のキリシタン文化が栄えた地域です。
キリシタン大名の小西行長が領主だった16世紀末には、キリスト宣教師大学(コレジヨ : 神学校)や修練院(ノビジヤード・ノビシャド : カトリック教会の養成機関)が開校しました。
天正遣欧少年使節団がヨーロッパから持ち帰った日本初のグーテンベルク式金属活字印刷機が導入され、教科書や辞書、信仰のための本などの「天草本」と呼ばれる29種類の本が出版されています。
南蛮文化が栄えた天草のキリシタンの歴史が、仏教と密接に関わっていることは、あまり知られていません。
1637年に過酷な年貢の取り立てと激しいキリシタン弾圧に追い詰められた民衆は、天草四郎時貞を総大将に蜂起し「天草・島原の乱」が勃発します。乱後、参加した天草の村々は荒廃してしまいます。
幕府直轄の天領となった天草に、1641年、初代代官として鈴木重成が就任します。
重成は自身の兄であり僧の鈴木正三を天草に招くと、人々の心の安定を図るべく「天草四ヶ本寺」と呼ばれる東向寺、円性寺、国照寺、崇円寺などの寺を創建していきました。
筆頭とされる東向寺の本堂には、幕府の威光を示すため、徳川家康をはじめとする歴代徳川家の位牌が祀られています。
また、重成のもとで仏教の再建と天草の復興が行われる中、住民は必ずどこかの寺院の檀家になるという寺請制度で管理され、仏教徒として暮らすようになりました。
キリスト教からの改宗を目的に建立された明徳寺には、山門の入口に掲げられているキリシタン禁制の高札や、石段の登り口にある彫りの深い顔立ちをした「異人地蔵」や、釘で引っ掻いたように十字架が刻まれた石段などが残されており、当時の様子を垣間見ることができます。
祇園橋
〒863-0017 熊本県天草市船之尾町1
天草・島原の乱において最大の激戦地であったと言われている場所にある石造桁橋です。
全国的にも稀である多脚式であり、国の重要文化財に指定されています。
柱状の石を組み合わせた素朴な構造で、橋脚は水切りのため、三角形の流線型になっています。
長さ28,6m、幅3.3m近くもある橋間に、約30cmの角柱が5列9行45脚によって支えられています。
橋の建造年代は1832年であり、時の庄屋大谷健之助が発起して、地元銀主をはじめとする庶民の協力のもと、切支丹殉教戦二百年祭を目途に着工して完成しました。
石材は下浦産のもので、石工も同じく下浦と石屋辰右衛門となっています。
1637年、天草・島原の乱において町山口川を挟み、キリシタン軍と唐津藩との死闘が繰り広げられました。
川原を埋め尽くした屍を弔うように、橋の側には橋本徳壽の歌碑が立っています。
楠浦の眼鏡橋
〒863-0044 熊本県天草市楠浦町字中田原
楠浦町にある眼鏡橋は、楠浦と宮地間を結ぶために方原川にかけられたもので、前潟新田の水害を救うため、方原川の下流を変える大工事を成し遂げた「釜の迫の堀切」と共に、楠浦庄屋宗像堅固氏の遺徳を後世に伝える二大事業のひとつと言われています。
アーチ型の石橋は優美かつ堅牢で、橋長は26m33cm、橋巾3m5cmとなっており、1879年6月11日から80日間で完成に至りました。
石材には下浦石が使用され、地元の石工の手によって作られました。
四郎ヶ浜ビーチ
〒861-7311 天草市有明町上津浦
天草・島原の乱のとき、周辺の海岸に総大将「天草四郎時貞」が上陸したと伝えられることから名づけられました。
白砂の美しい砂浜が515mも続いており、眼前に雲仙の山並みを望めるなど、県内でも有数の景観を誇るビーチです。
熊本の市内から1時間半ほどと近いこともあり、県内でも高い知名度があります。
シーズン中は若者や家族連れなどで賑わい、天草で最も人が集まるビーチです。
熊本県でも3ヶ所しかない、環境省選定の「快水浴場百選」に選ばれています。
白鶴浜海水浴場
〒863-2805 熊本県天草市天草町高浜北897-1
「快水浴場百選」にも選ばれている海水浴場のひとつです。
1.3kmにも及ぶ白浜のビーチが、鶴翼を広げたようにみえることからその名がつきました。
透明度が高く、サーフィンなども満喫できます。
また水平線に沈む夕陽を楽しむこともできるスポットです。
富岡海水浴場
〒863-2507 熊本県天草郡苓北町富岡字権現山地先
「快水浴場百選」にも選ばれており、天草灘に面した海水浴場です。
透明度が非常に高く、海面はコバルトブルーに輝きます。
砂も良質であり、沖合に消波ブロックが配置され、両側に自然石を使った突堤を設けているため、約300mのビーチ内は大変穏やかになっています。そのため、小さなお子様連れでも安心してご利用できます。
茂串海水浴場
〒863-1901 熊本県天草市牛深町4641
美しい天然の白砂と透明度の高い海水が人気のビーチです。
素潜りでも簡単に熱帯魚をみることができます。
この砂浜はウミガメの産卵場所としても知られており、5~6月の産卵期にかけてウミガメの姿を見ることができるかもしれない場所となっています。
荒尾岳遠見番所跡
〒863-1721 熊本県天草市魚貫町
1641年12月、天草代官鈴木重成は異国船見張りと沿岸警備のため、富岡、大江、魚貫埼の3カ村に遠見番所を設置しました。
大江先詰めは荒尾岳に設けられ、烽火場には常に松明を用意しており、対岸椛島番所に呼応して海防監視の任に当たっていました。
その後、1660年に富岡附遠見見張所として増設され、1702年に富岡に移されるまで60年間続きました。今も当時の烽火場跡が残っており、歴史の一端を垣間見ることができます。
棚底城跡
〒861-6402 熊本県天草市倉岳町棚底
中世の天草は、天草五人衆と呼ばれる豪族が分割して統治し、天草島内で領土争いを繰り返していました。
その中でも棚底城は、天草で最も高い倉岳の麓に築かれた戦国時代の城郭で、天草五人衆の上津浦氏と栖本氏の抗争地として記録が残っています。
宿泊施設やその他の観光スポットなど
天草には有名な温泉や、その旅館、ホテルがあり旅の宿としても最適です。
西海岸側では水平線に沈む夕陽を見ることができる場所も多く、最高の眺めを楽しめます。
食事にはうつぼ料理などの名物グルメが提供されるところもあり、またウニを含む旬の新鮮な海鮮料理を味わえると思います。
その他イルカの群れを観察できるイルカウオッチングや、ダイビング、釣りなどのレジャー、天草陶磁器の陶芸体験など旅行の醍醐味をたっぷり楽しむことができます。
天草は魅力が沢山
今回紹介したもの以外にも天草の分化や歴史を感じるスポットが数多く残っています。
また、海の幸や漁業、農業などが有名な天草ですが、名物料理や新鮮な魚介を堪能すると共に、観光めぐりをするなど、天草の旅を満喫してみませんか。
ウニを知ろう
上記でふれたように天草の旅先では美味しい旬のウニを味わうことができます。
ここからはウニの豆知識です。
・なぜ旬は春なのか?
・そもそもなぜウニと呼ばれるようになったのか?
・ウニのどの部分が食べれるのか?
素朴な疑問が解決されます。ウニを知り、よりおいしくいただきましょう!
ウニの生態
ウニは棘皮動物に分類されます。
棘皮動物はすべてが海産です。体は球形・円板形・円筒形・星形などで五方向の放射相称となっています。
棘皮動物は体壁にカルシウム性の骨片を含むか、カルシウムの結合による石灰板の堅固な骨格を持ちます。
雌雄異体で、呼吸・循環・運動に関係する特有の水管系を持っています。
名前の由来
ウニの詳しい語源は不明ですが、海の胆を表す漢字「海胆」を訓読した「うみい」が語源とする説があります。
英語名は「seaurchin」で直訳すると「海のいたずら小僧」などの意味になります。
「urchin」には「ハリネズミ」という意味があるので「海のハリネズミ」となります。
バフンウニは、殻の形が馬糞に似ていることからその名で呼ばれています。
ウニは、殻の色が紫色を帯びた黒色をしており、キタムラサキウニは北方で見られる同系統のものを呼びます。
食性
雑食で、海藻、腐食物、砂泥内の微生物、付着生物などを主食としています。
棘皮動物の中で海藻を食べるのはウニだけです。ウニは餌によって味が変化するため、栄養豊富な海藻が育つ海で獲れるものは美味しいとされています。
天草のウニはカジメやクロメなどの海藻を食べて育ちます。
生殖・繁殖
ウニの繁殖方法は体外受精です。
特別な配偶行動は見られず、一定季節の一定の時間に放卵・放精が行われます。
放卵・放精は肛門の周りにある5つの生殖孔から行われます。
一般的なウニの卵の大きさは0.1mm程度で、一回の放卵数は10万~1000万個と言われています。
同じ棘皮動物に、ヒトデ類でペアを組んで生殖を行う例が知られる他、ウミユリ類やクモヒトデ類などで幼生まで体内で保育する例も知られています。
ウニの産卵期は種類によって異なる他、地域によっても違いがあります。
一般的に春から初夏にかけて産卵期を迎える種類が多く、産卵期を迎える前の生殖巣に栄養が蓄えられているウニを指して旬といいます。
天草では春はムラサキウニ、夏はアカウニ、秋から冬はガンガゼウニが旬と言われています。
ウニの数え方
ウニを数える場合、1個、2個という数え方や、1匹、2匹という数え方が一般的です。
それらとは別に1腹、2腹という言葉を使って数えられることがあります。
これはウニ本体ではなく、可食部の数え方になります。
この数え方は魚卵などと同じで、ウニの可食部が生殖巣であることから同様に数えられています。
ウニの飼育
水族館でも見ることのできるウニを、ペットや観賞用に飼育している人もいます。
馴染みのない人からすると難しいと感じますが、実際はどうでしょうか。
生き物を飼育する際に問題となるのは餌です。
ウニはほとんどの場合、海藻を主食としているため、与えるエサも主に海藻類となります。
感想ワカメなどの感想海藻類でもいいですが、できれば生の海藻類が好ましいです。
次に飼育環境です。
ウニの場合、環境への順応性が高いため、それほど神経質になって環境を整える必要はありません。
塩分濃度さえ守っていれば、水質管理も難しくなく、水温に関しても許容値が広いため、飼育しやすい部類の生物になります。
しかし水槽は注意して選びましょう。
ウニはアリストテレスの提灯とも呼ばれる咀嚼器官を持っており、アクリル水槽の場合は壁面を削られてしまうことがあります。
これは水槽壁面についた藻類を食べることがあるためで、ガラス製の水槽の方が適しています。
また石灰藻を削って食べてしまうことがあるので、サンゴと同じ水槽に入れるのは避けた方がいいでしょう。
ウニは夜行性のため、夜になると動き回る姿を見られるかもしれません。
ウニの食用
食用となるウニは16種類程ありますが、日本で獲れるのはバフンウニ、エゾバフンウニ、ムラサキウニ、キタムラサキウニ、アカウニ、シラヒゲウニなどです。
さらに、天草を含む一部地域ではガンガゼウニを食用としている場合もあります。
一般的に食べられているウニの身は、ウニの生殖巣です。
細胞が活発に活動する繁殖期のものが旬の時期とされています。しかし生殖細胞の割合が増えすぎると苦みが増すので食用には向いていません。
そのため産卵期を迎える前の未成熟の生殖巣が最も食用に適しています。
実験材料としてのウニ
ウニは卵の発生実験でも良く知られています。
日本においては海に囲まれた島国であることから、多種類のウニを容易に採集できること、それぞれの種類の成熟時期が異なることから1年を通して配偶子を得ることができるためです。
成熟したウニを採集できれば、採卵・採精は容易です。
受精させることも容易であり、顕微鏡下で直ちに受精膜の形成が観察できます。
短時間で卵割をはじめ、その初期発生は典型的な形をしています。
その後は2から3日のうちにプルテウス幼生となります。
取り扱いの容易さと、ほとんど失敗のない実験として広く行われている実習のひとつがウニの発生実験です。
装飾品としてのウニ
海外において、ウニの殻は装飾品に利用されています。
ヨーロッパオオウニの殻は電気スタンド、
アメリカカシパン類の殻は置物などのインテリア、
パイプウニの棘はすだれや風鈴の短冊として利用されています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
天草の街から少し離れた西海岸、
そこは最高のウニが育つ環境が整った聖地です。
春になると小舟でウエットスーツを着た漁師が大潮の干潮に素潜りでムラサキウニを採っています。
採れたてを食べるなら、天草の街から少し離れていますが、西海岸付近のお店に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
昔ながらの佇まいのお店では真っ黒にやけた漁師の方々が最高のウニ丼を提供してくれます!
天草の絶品うにを味わいたい方におすすめ