こんにちは!アマカラ編集部の荒木です!
こちらでは、あまからおすすめの商品とそのお店のこだわりや想いなど、取材してきた内容をご紹介していきます。
今回は、天草陶石の採掘に深い歴史を持ち、高浜焼の伝統を守り続ける「寿芳窯」。
有田焼や瀬戸焼など、多くの高級磁器の原料としても使用されている天草陶石。発見されたのは江戸時代に遡ります。
天草陶石の採掘を行なっていた場所はいくつかあるとされているものの、その歴史ははっきりしていません。
それでも、天草陶石の素晴らしさは、平賀源内も著書の中に記すほどだったようです。
高浜焼の始まりは、高浜村上田家の6代目・伝五右衛門武弼。
天草陶石が磁気の材料として優良であるということを聞き、高浜村鷹の巣山で焼き物を焼きはじめたのが、高浜の元祖と言われています。
今回お話を伺ったのは、寿芳窯の古田さん。
作っている「豆皿」についてのこだわりや、江戸時代中期の高浜焼の復刻製品について、また文化財登録されている上田家庄屋屋敷についてなど、さまざまなお話をお聞きしました。
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天草陶石と寿芳窯の長い歴史
(荒木)それでは、寿芳窯の歴史について教えてください。
もともとは天草陶石の採掘が始まりだったんです。
1728年に高浜村上田家の3代目・伝右衛門が天草陶石の採掘を始めたんですけど、2年で中止してしまいました。
その後5代目・勘右衛門達賢が、天草陶石の採掘を再開します。
ただ、その時は砥石や硯石としての出荷しかしていませんでした。
今では有田焼や清水焼など、様々な陶磁器の原料として使われていますが、これも江戸時代の文化人であった平賀源内が「天下に二つとない最高級品」と著書の中で褒めてくれたからかもしれません。
こうした噂を聞きつけたのでしょうか、6代目・伝五右衛門武弼が1762年に陶工の山道喜右衛門を肥前(現在の佐賀県と長崎県)から招き、高浜村鷹の巣山で焼き物を始めました。
これが高浜焼の元祖と言われています。村民に窯業を習得させ、開窯したのです。
-長い歴史があるんですね。村民にも窯業を習得させるという試みはすごいです。
当時、天草には田畑が少なかったんです。
なので、農作物を育てることがとても難しかったことから、6代目がその土地に住む人たちが新しい産業に携われるように考えたことでした。
陶石を利用して、多少の損失も顧みることなく事業を継続し、最終的には数百人の村民が焼き物を生業にすることとなりました。
その後、平戸や肥前の亀山から陶工を招いたことにより、より精巧な染付の作品が焼かれるようになり、国内向けの焼き物の製造に力を入れることによって、高浜焼は最盛期を迎えます。
これが明治中期まで受け継がれ、一旦途絶えてしまうんですけど、昭和27年に再構し、今に至ります。
使い心地にこだわり、日常に溶け込むデザイン
-それでは、この仕事をしていて、嬉しいことや大変なことはありますか?
大変なことは、やはり天草陶石自体も貴重な資源ですし、一つひとつの作品のデザイン面や使いやすさなど「使い勝手の良い器であるかどうか」を、気を付けて考えるようにしています。
嬉しいことは、リピーターさんの存在ですね。再度ご来店された際に声をかけていただけるのは本当に嬉しいです。
日常的に使っていただけていることを聞いた時には嬉しい気持ちでいっぱいになります。
《オススメ》「復刻」シリーズ−江戸時代中期に描かれていた海藻模様の海松紋
-それではいくつかの商品について教えてください。まずは、江戸時代中期の高浜焼の復刻作品についてです。
復刻したのは、海松紋(みるもん)と呼ばれる模様です。
江戸時代中期に描かれていた海藻をイメージした模様となっています。天草陶石の綺麗な白色をベースにした磁器にカラフルな海松紋がよく映えます。
初めは青の海松紋が中心でしたが、お客様のご要望で赤や緑、シルバー、ゴールドと色のバリエーションが増えたんです。
-とても綺麗ですよね!清涼感も感じることができますし、江戸時代にあった柄とは思えないほどモダンな感じもします。
海松紋を作ろうと思ったきっかけはありますか?
天草といえばやはり海なので、海にちなんだ模様がつけられたらと思っていました。
絵付は手書きのものもありますが、転写のものもあります。
-こだわりはありますか?
海松紋をあしらった器には種類がたくさんあります。
お皿や豆皿、カップだけでなく、花瓶や菓子鉢などさまざまです。
コンセプトとしては日常にある食器を目指していたので、普段使いしていただけていたら嬉しいですね。
そして、かさばらないような形状を意識しています。重ねやすさはこだわりましたね。
《オススメ》6角形豆皿−重ねた時の美しさへのこだわり
-次に6角形の「豆皿」ですが、こちらにはどんなこだわりがありますか?
この商品を作ろうと思ったきっかけとしては、かさばらない食器ということで考えていて、6角形にしました。
6角形だと、重ねた時に6角形螺旋状に重なるのでこの形で製作することにしました。
底がフラットなので、醤油などの液状のものでも入れやすく、使いやすい作りになっています。
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今後の取り組みについて
-最後に、今後の取り組みについて考えていることはありますか?
今日(取材当日)も団体のお客様がいらっしゃっていますが、先ほども少し触れたように、リピーターの方が来てくださるのが本当に嬉しいんです。
そして、その顧客の方が新しいお客様と一緒に来てくださったりするので、ご紹介で広がっているのがありがたいなと思っています。
ただ、こちらからもしっかり発信していくようにしたいと思っているので、なかなか情報発信が難しいのですが、SNSを活用したPRを行っていきたいと思っています。
取材を終えて
取材当日に来られていた団体の方にお話を伺うと、寿芳窯の食器を病院で使用しているらしく、シンプルな白磁がどんな料理にも合い、丈夫なところが気に入っていると教えてくださいました。
天草陶磁器のルーツである高浜焼を受け継いでいる寿芳窯の陶磁器は、その特徴である「白さ」「薄さ」「透明さ」が素敵な器でした。
シンプルだからこそ日常でも使いやすく、薄さがその機能性を高めているのだと感じます。
古田さんのお話からは、お客様の目線から作品づくりに取り組んでいる姿がわかり、そうした作品づくりをする窯元だからこそ、リピーターや口コミが広がっていくのだと思いました。
可愛いくまモンが描かれた器やカップや、パステル調の水玉模様がかわいい器もあり、さらに寿芳窯では絵付体験もできるようになっています。
ぜひ公式WEBサイトで情報をチェックしてみてください!
おすすめスポット
文化庁登録有形文化財登録指定 上田家庄屋屋敷
上田家庄屋屋敷は、寿芳窯の敷地内にあります。
約1000坪の土地に南向きに建てられ、部屋数は約20室にも及び、大広間や中ノ間、居間、座敷などがある広大な土地です。
山を背景に斜面を生かした庭園も素晴らしく、このような旧役宅がそのまま現存しているのは歴史学的、建築学的にとても貴重です。
昭和7年8月には、与謝野鉄管・晶子夫妻が離れの客房に宿泊し、その時に晶子が書き贈った直筆の歌が残っています。
老朽化が著しいので、部屋に上がることはできませんが、土間から造りを見ることができます。
寿芳窯に隣接していて、その隣には上田資料館もあり、高浜焼や上田家の歴史だけでなく天草の歴史なども学べます。
ぜひ足を運んでみてください!
名称 |
天草高浜焼 寿芳窯 |
---|---|
所在地 |
〒863-2804 |
電話番号 |
0969-42-1115 |
WEBサイト |
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